小林一三の生涯が凄い!阪急東宝グループの創業者で伊能栞のモデル

 

朝ドラ『わろてんか』で高橋一生さん演じる伊能栞のモデル

となっているのが、阪急東宝グループの創業者の小林一三

(いちぞう)です。

 

2006年に阪神電鉄と統合して現在は阪急阪神東宝グループと

なっていますが、鉄道会社の阪急電鉄や阪神電鉄はもとより、

阪急百貨店やホテル事業や不動産事業などかなりの多岐にわたって

ビジネスを展開。

 

映画会社の東宝や宝塚歌劇団、阪神タイガースなどの娯楽レジャー事業

も手広くおこなっています。

 

これらの事業の創業者となっているのが、一介のサラリーマンから

身を興し、日本でも有数の企業群を育て上げた小林一三です。

 

そんな小林の生涯をまとめてみました。

 

(小林一三)

 

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小林一三の生涯が凄い!阪急東宝グループの創業者で伊能栞のモデル

 

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小林一三は明治6年(1873年)13日に、現在の山梨県韮崎市の

商家で誕生しました。

 

しかし生まれてすぐに母親が死去して、父親とも生き別れになり

叔父夫婦に引き取られるなど、薄幸の幼少期を過ごしています。

 

慶應義塾正科(現在の慶応義塾大学)を卒業すると

三井銀行に就職。

 

東京本店の調査主任にまで出世しますが、34歳で上司の岩下清司が

大阪で設立する証券会社の支配人になるために退職しています。

 

しかし恐慌によって証券会社の話は立ち消えて、妻子を抱えながら

小林は失業

 

ところが電鉄事業が有望と考えた小林は、岩下を説得して

銀行を仲介させて阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道

の設立を実現させます。

 

 

同社の実権を握った小林は、鉄道予定地の沿線の土地を買収して

宅地造成開発をして付加価値を高めるという手法に出ます。

 

後に電鉄会社がニュータウンなどの宅地造成をおこなうのは

常套手段となりますが、それを最初におこなったのが小林です。

 

さらには造成した宅地をサラリーマンなどでも購入しやすいよう、

当時としては珍しい割賦販売(いわば現在の住宅ローン)の

アイデアを生み出すなどして大成功を収めていきます。

 

大正9年(1920年)には日本で初となるターミナルデパートの建設に

着手して、昭和4年(1929年)には阪急百貨店を開業。

 

 

当時の鉄道会社が直営の百貨店を経営することなど

誰も思いつかなかったことから、世の中をアッと言わせました。

 

この百貨店事業の成功によって、ホテル事業などにも乗り出します。

 

娯楽やレジャー事業に本格的に乗り出したのもこの頃で、

昭和7年(1932年)には東京宝塚劇場を、昭和12年(1937年)には

東宝映画を設立しています(両社は昭和18年に合併)

 

 

なお現在の宝塚歌劇団のルーツとなる宝塚唱歌隊は、

大正3年(1914年)に既に設立しています。

 

 

朝ドラ『わろてんか』で伊能栞は映画や興行界に進出することに

なりますが、下敷きとなるのは小林のこのあたりのエピソードです。

 

興行界に進出した当初の東宝は拠点を関西圏に置きますが、

徐々に東京に進出を開始します。

 

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この頃の関東の興行界を抑えていたのが松竹で、東宝の首都圏の進出で

両社はまさに「戦争」状態となります。

 

前記の東京宝塚劇場には宝塚少女歌劇(後の宝塚歌劇団)を出演させ、

松竹歌劇との人気争いが勃発。

 

その他にも東宝は日比谷映画館や有楽座を建設し、松竹が借りていた

帝国劇場の権利も入手して、丸の内や有楽町界隈を東宝の娯楽街に

してしまいます。

 

その後は両者の争いも激化して、松竹のトップスターの林長二郎

(後の長谷川一夫)の引き抜き事件でピークを迎えますが、

戦局の切迫のために終焉していきます。

 

こうした東宝の娯楽事業の拡大の中、吉本興業部とは当初から提携を結び、

東宝映画にも吉本所属の芸人を出演させるなど、両社の関係は良好でした。

 

さらに小林はこれらの事業と並んで、昭和11年(1936年)に

後のプロ野球阪急ブレーブスの前身となる阪急職業野球団

設立しています。

 

ちなみに数多くの娯楽事業を展開した小林ですが「私が死んでも

タカラヅカとブレーブスだけは売るな」と言い残したと言われていますが、

周知の通り阪急ブレーブスは昭和63年(1988年)にオリックスに

身売りしています。

 

実業家としての活動のほか、小林は政治家としての顔を持ち、

終戦前後の近衛文麿内閣では商工大臣、終戦後の幣原内閣では

国務大臣を務めています。

 

戦後はGHQの指示によって公職追放となりますが、

昭和26年(1951年)に追放解除となると、東宝の社長に復帰しています。

 

そして昭和32年(1957年)に84歳で急性心臓性喘息で逝去しています。

 

小林一三の生涯を簡単にまとめようとしましたが、

まだまだ書ききれないエピソードなども多数あります。

 

戦前の経営者としては傑出した人物で、現在も阪急阪神東宝グループは

健在です。

 

小林につきましては書籍なども多く刊行されており、

興味がある方はそれらを読んでみるのもいいでしょう。

 

ちなみに小林は、元テニスプレーヤーで現在ではタレントとして

活躍する松岡修造さんの父方の曾祖父にあたります。

 

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